⑯インド紀行Ⅰ

 ある日、お客様より「中村天風さんをご存じ?」と聞かれました。 彼女は、たまたま今は亡き天風さんのお弟子さんとご縁が出来て知ったとのことでした。

早速お勧めの本を数冊読みました。

天風さんの自伝だったのですが、まるで映画を観ているような感覚ですーっと読み終えました。

何をしても治らなかった結核が、インドのヨギに出合い大変な修行して気が付けば治って、帰国後天風会という会を開かれ心身統一一道を提唱されました。

大正時代のお話です。

こんなに素晴らしい方がおられたのだとただただ感激でした。そして、彼の心を導いてくれたインドに行ってみたい!と強く思いました。

惹かれたのがヨガでなかったのは不思議ですが。

さーそこからまた寝ても覚めてもインドのことばかり考えました。インドの虜です。

せっかく行くのですから、本場のアーユルベーダーを受けたいと思い、お客様のご紹介くださったサロンに行ってみました。事情を正直にお話しましたら、「僕たちがお世話になっている先生がデリーにおられるからその病院に通えばいいよ。日蓮宗のお寺にいつも泊まるんだけど、そこに泊まれば?」と。

なんとありがたいお話でしょう。

毎週アーユルベーダマッサージに通い、インドのお話もたっぷり聞かせてもらいました。

お客様の中には、「玉井さんがインドに行かれるのならばご一緒したい。」と仰ってくださる方が数人おられました。

楽しみだなーと思っておりましたが、何といってもインドです。

そう仰って下さっていた方も不安になられたんでしょうね。

結局私一人で行くことになりました。

初海外一人旅、しかもインドへ。

不安を払拭すべく、なにかせねば!と考え付いたのが、イメージ療法。

「あー楽しかった!また行きたい!」と満面の笑みで話しているイメージを寝る前に描きます。

出発までの2週間くらい毎日イメージングしました。

出発当日、主人が必要なものをテーブルに並べ順を追って指示してくれました。(残念ながらそれでもよくわかっていなかったのですが。)

そして、バスターミナルまでのタクシーの中で義母からまさかの衝撃発言が!

「私のお友達の息子さんが、インドに旅に出かけてからもう何年も経つけれど帰ってこないのよ~!」って。

絶句でした。

「私はそうならないように気を付けます。」と言って出かけたのですが、ドキドキが間違いなく増しました。

成田でもわけのわからない失敗しちゃって、アナウンスで呼ばれました。

ビックリして私大丈夫かしら?と心配になりましたが、それでもなんとか無事に飛行機に乗れてほっと一息。10時間の旅です。周りを見回せば、ターバンやサリー、パンジャビドレスのインドの方々がたくさんおられインドに向かっていることを実感しました。 長かったけど緊張していてあっという間だったような。

さー、いよいよデリー着。

ドキドキして出口を出るとプラカードを持った沢山の人々。

私の名前は?ドキドキしながら目で追っていくと外れのに  MIYUKI TAMAI を発見。

日本語がわかるスタッフ、ナムギャルでした。

ラダックに帰省中だったのに、私のためにデリーに戻ってきてくれてお世話してくれました。

その手筈は、東京のアーユルベーダサロンの先生が手配してくださったのでした。

本当にありがたかった!

ナムギャルに会えたその時、ヨッシャー!とガッツポーズで「インドは私を迎え入れてくれた!ありがとうー!」と心の中で叫びました。

車でお宿 World buddisut centre に向かいます。

夕方の道路は、仕事帰りの人々で溢れています。

満員どころか、バスからはみ出して窓に座りながら乗っている人々、バイクに3,4人家族で乗っていたり、路上には沢山の人々が座っています。

見たこともないオレンジ色の大きな太陽にスモッグだらけで汚れた空気!

生きている!何かそんなものを感じ、ワクワクが止まりません。

お寺に着くと、そこはイメージしていたお寺とは全く違った建物で、5階建ての白いビル。

二階に上がるとロビー?ソファーが置いてあり、日本人の方が一人おられホッとしました。

その方は、ある大学のインド文学を研究されている教授で、毎年夏休みに来印しておられるとのことでした。

お寺のスタッフは、皆ラダック出身です。

インド人というよりもチベットよりのお顔立ち。

食堂は、長テーブルに座椅子。う~ん、日本らしい~!

皆さま夕食は済んでいましたが、私にもカレーを用意して下さいました。日本で食べたインドカレーよりもなんともさっぱりとしたべジカレーで美味しかった~。

そして、お部屋に通されてびっくり。 あら~普通にホテルのツインルームのようです。

バスルームもびっくりするほど広く、大きな過ぎるくらいのバスタブの横にトイレがあったのですが、シャワーホースがついており最初悩みました。

きっと、ウォシュレットはここからヒントをもらったのでしょうね。素晴らしい!

緊張で疲れもあったのでしょうね、ぐっすりと休めました。

すっきりと目覚め、あら?あの太鼓の音は? 下のお堂から聞こえてきます。

自由に参加できるとのことで、早速参列しました。

ひたすら「何妙法蓮華経」日蓮宗です。

ラダックの一番長老のお坊さんが、太鼓をたたきながら唱えられます。数人の子坊さんも参列。彼らもやはりラダック出身。ご近所の方も自由に入って少しお参りされて帰られます。

この自由な感じがよかったです。

朝食に行くと、イングリッシュブレックファーストでした。

皆様そろって「いただきます。」いいなーなんか日本チックです。

出かける支度をして、ナムギャルに付き添ってもらい、Holy Family Hospital へと向かいます。

先ずは、リキシャを止めて金額交渉して乗り込みます。

これまたドキドキで、揺れますし、ちゃんと時間に間に合うのかと不安になります。

日本人特有の感覚ですね。

現地の人は、時間に遅れるとか早いとか気にする人はいないようで大らかでした。

10分くらいで病院に着いて驚きました。

というのも、先ずは、アーユルベーダー科があるのですから。インドの漢方科のようなものですね。

そして、溢れんばかりの沢山の患者さん達。

私は、ナムギャルの手配もあり、割合とスムーズに診察室には入れてもらえました。

初日は、ビーマ・バット先生はお留守で奥様が担当して下さいました。 丁寧に診察下さり、希望も聞いて下さり、毎日違うコースを受けたいと伝えました。そうしたら、「セラピーが終わったら、何を見てくださっても、何をしてくださってもよいですよ!」とのことでした。

そんなことってあるんだなー、寛大に受け止めてくださったことに感謝でした。

早速お言葉に甘えて、セラピストにくっついて、マッサージを見たり、シロダーラの垂れたオイルを温めて戻す手伝いをさせてもらいました。

沢山のハーブの山からハーブボールも作りました。

この病院内で採れるハーブで作るものだということでした。

正しく地産地消です。

地元で採れるものが体にもよりよく効くのですね。

そして、彼らは日本からくるお客様に慣れておられるのでしょうね。私にも親切に接して下さいました。

仲良くしてくれた男性のセラピストが、ランチに行こうと誘って下さり食堂にも連れて行って下さいました。

私が日本人だということもあり、沢山の方がお声をかけてくだいました。

そして、職員の皆様のお弁当は、丸いステンレスのケースを2つ。1つにはチャパティーを2枚くらい、もう1つにはカレーを持参されていました。

さすがカレーの国インド。

驚いたのは、食堂で購入したヨーグルトでラッシーを作っておられたこと。コップにヨーグルトを入れ、水を足し、塩を入れてグルグル混ぜて出来上がり。甘くないラッシー!

私の知っているラッシー=甘い飲み物でしたからビックリ。

そして、娘自慢も聞きました。

どの国も我が子がかわいいのは同じです。

 

毎日違うコースを受けましたが、驚いたのは、シローダーラの効果。そして、シローダーラーは二種類。オイルと牛乳。

東京でも毎週受けていたのですが、ここで受けたものは全く違いました。

お寺に夕方帰ってきて、ちょっと昼寝のつもりが起きていられずに朝まで寝てしまったくらいヘビーなものでした。

そして、シローダーラを受けた方々は、白い大きなさらしをターバンのように頭を巻いてお帰りになります。

私も巻かれたのですが、なんだか気恥ずかしくて外して帰りました。

 

インドの旅が決まってから、郷に入れば郷に従いたいと思っていました。先ずは衣装から。

2日目病院から帰ってきた後、ナムギャルと大学教授と一緒に商店街にパンジャビドレスを買いに行きました。

ナムギャルが教えてくれたお店であれこれ悩みながら、ドキドキしながら4点購入しました。

東京でも2点購入して行ったので、初日からパンジャビドレスを纏い、毎日とっかえひっかえ、なんちゃってインド人になってあちこち歩きました。

パンジャビドレスは着心地がよく、色や刺繍も綺麗で素敵なのですが、頭に長ーいスカーフを巻くことがなんとも言えず心地よかったです。

 

 

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