ようやくです

私事ながら、今年もお誕生日がきました。
どんな時も一生懸命生きてきて、このお仕事と出会ってからは水を得た魚のように生き生きとひたすら走ってきました。


ところが、いつ頃からか「分からない」とよく言うようになっていました。

例えばお花のレッスン。
お花は美しいけれど、それをアレンジすることは、正しく分からないものでした!
お花が活けられたらいいなーという憧れがあったからチャレンジしたのです。
ちゃちゃっと活けられる人になりたかった。


ところが、出来上がったものが、これでいいのかどうか?
「よし!出来た!」
と達成感を感じられたことがありませんでした。
何故でしょうか?
苦手意識があるから?
それも分からなかった。


先生が「ほらー!綺麗に出来たじゃない!」と誉めてくれても
はい。お花は綺麗だね~⤵️
なかなか「うん」と言えない私。


その感覚と似ているのかなー?
ここ数年は、底無し沼?ブラックホール?のような何か分からない中に落ちてしまったような感覚でした。


目の前をうすーいベールで覆われているような感覚。右往左往しました。
苦しかった。
何が足りないのか?
はたまた多いのか?
仕事のこと?
家庭のこと?
人生のこと?
どこまでも分からなくて、本当に苦しかった。


ある方は、
「ようやくそこまで来ましたか。あと一歩ですね。」
そうなのかもしれない。けれど
「ん?」
この言葉も分からない。
どう言うことなんだろー。

そんなある日、17年ぶりの友人ご夫婦とばったり再会しました。
なんと旦那様がプロテスタントの牧師になられて教会を任されておられました。

神様にスカウトされちゃったよー!」って。
彼は、金融などのビジネスマンだったのに!凄い転身。
仲良しだった彼女の姿は、変わらずお美しい方です。

でも、中身は別人に。もともと愛の人だったのですが、なんかもっと愛の人に。


彼女を変えたものは、なんだったんだろう?


そのあと何回か会うことになり、お話をたくさん聞きました。

そこに至った経緯。いつも壮絶だったけど、やっぱり壮絶な生き方をされていて
そしてある時神様に救われたのだと。
「へー、そうなんだ。」


彼らとのやりとりには

聖書の御言葉がたくさん出てきます。
初めて聞く言葉で、それこそ「全く分からない」言葉達でした。

そんな中、私の悩み「分からない」を聞いてみました。
そのお返事は、簡単。


「みゆきちゃん、分かるわけないんだよ。分かるのは神様だけなんだから。」


「えー!」分かるわけないんだ。
分かっているようなつもりで生きていたんだ!
なんだかホッとしました。
そして、その苦しんできた姿は、幸いなんですって!

その先に光を見ることができるから。
長い間苦しんだ私は幸いだったなんて!
凄いなー!

 

そういう私にはなかった新しい考え方に触れ

目からうろこでした。


心が軽くなりました。

わからなくて、いい。

わからない自分を受け入れられました。

 

わからなくても、しぬまで勉強!

お花のことは、わからないままだけれど(笑)