⑩自宅サロンでのこと

以前のサロンの4人のお客様がお越しくださり、その中のお二人のお客様が中心になって口コミ下さりどんどん広がっていったのですから、本当に驚きましたし嬉しかったです。

そして、お若い方から母と同年代のお姉さままでお体のつらい方、お綺麗になりたい方がこんなにおられることにも驚きました。 お役にたてることがとにかく嬉しくてありがたく、よりよい技術をお届けしたい一心で、技術に惚れ込んだ先生の所へは、頻繁に通い学びました。

どうやったら先生のようになれるんだろう!

なりたかった!

少しずつ技術を高めながら、呼ばれたらどこへでも出張しました。茨城のお客様のところへも毎月出張させていただいたり、大宮よりも先の埼玉へも。関東平野って言葉は知っていたけれどこんなに広いんだなーと山国育ちの私は感激しました。

20代から70代まで幅広いお客様に支えられて、楽しく忙しい日々を送りました。

そんな中 自宅の建て替えもあり、井の頭線三鷹台に半年ほどサロン移して営業もしました。

当時子宮筋腫が悪さをしていて、不正出血、多量出血を繰り返していました。そのせいで貧血の数値もとても低かったですし、顔色も悪く、歩いているときも息切れがしました。

階段を上るときは首を絞められているくらいの苦しさを感じ、貧血というものをじっくりと体感しました。

それでも仕事は出来ていたのですから不思議ですね。

そんな体調の中での建て替えでしたから、体は悲鳴を上げていたのですね。家も出来上がりもうすぐ引っ越しという時に、朝起きたら敷き布団のシーツに直径1メートル位の膿のシミがあったのです。出血ではなく。なんだろ?心配でしたから、お医者にも行ってきましたがよくわからないとのこと。その日はやり過ごし翌朝また同じような状態がありました。これは大変!赤ちゃんのおむつが必要かと思い買い物に出たら、ふらふらと倒れてしました。まさか私にこんなことが起きるなんて。

義母に付き添われて病院にいくと、そのまま入院に。

子宮から筋腫が分娩したらしく、子宮を摘出しましょうとのことでした。出血が止まったら手術ということで10日ほどかかりました。術前は、お部屋は2人部屋でした。

先ずやったことは、お客様へのお知らせのお葉書を書くこと。友人にサロン休業のお知らせのハガキを作ってもらい、家族にカルテを全部持ってきてもらって宛名書き。

何やってんの?ですよね。

ご予約をキャンセルさせてもらったお客様に申し訳なくて、せめてもの出来ることでした。

お隣のベットの方は、末期の子宮頸癌の方で、毎日ご家族が順番にいらしていて、お友達も多い方でした。そして、末期癌がどんなものかを見せてくださいました。

上半身は大変瘦せておられましたが、下半身は浮腫がひどくぱんぱんに膨れ上がっておられ痛みも感じておられました。

「どうやって浮腫をとるのですか?」とドクターに尋ねると、「麻酔科で針を刺して水を抜いていきます。」というお返事。彼女の太ももには、おむつのような大きなパットが当てられていました。

なんと!

こんな大きな大学病院でされることがそれですか?

正直驚きました。

そんな状態ですから、夜中も「痛い!」と悲痛な声が聞こえてきます。「○○さん、私こういうお仕事をしているものなんですが、お身体擦りましょうか?」と声を掛けたら、「お願いします。」とのことでせっせとさせていただきました。

お薬を飲むときは特に背中を擦ってあげるとよく飲めると喜んでくださいました。

「玉井さんも大変なのにごめんなさい。」と言われ

「とんでもないです。前世では私がお世話になっていましたから。」なんて不思議な言葉が出ていました。

本当に嬉しくて、「私にできることならなんでも仰ってください。」なんて偉そうなことを言って、秘書ですか?くらい色々しちゃいました。

その後、看護婦さんに見つかってしまい、本末転倒とお叱りを受けたのは言うまでもありませんでした。

手術前は暇で手持無沙汰だったんですね。

お叱りを受けた後も、目を盗んでそーっと触ってました。

この入院は、仕事をしていく上でとても大きな経験になりました。

手術前日には、自分と「私は何を失ってもこの仕事をやりぬくよ!なくなってもあるから!」と約束をして眠りました。

術後はお隣の4人部屋に移りました。

体は、お腹が痛くてまっすぐに立てません。手術のせいで、排尿時シャッターが降りてくるような感覚があり不安を覚えましたが、日に日に回復してあっという間に元気になっていきました。

術後2日経ったとき、末期癌の○○さんのご主人様が来られ、「家内に会ってやってください。今夜が山だそうです。」とお声かけくださり、看護婦さんの目を盗んでお顔を見せてもらいました。その晩、真夜中にお嬢さん方の泣き叫ぶ声が響き、あちらに逝かれたことがわかりました。

なんとも不思議な空気が漂っていて、自分がどこにいるのかわからないような感覚でした。

このタイミングでお会いできた、そして隣のベットで彼女の人生を聞かせてもらえたことも特別で本当に嬉しかった。

お母さんの人生を聞かせてもらったような感覚。

お別れしたことよりもお会いできたことの方が私の心に残りました。

退院後、ご自宅にお焼香にも行かせてもらいました。

彼女が入ることのなかった建て替えたばかりの新しいおうちに。

その後、お香典返しのお品が送られてきて、箱を開けて私は泣き崩れました。それは、今もずっとサロンに置いてある月のライトでした(お隣の写真)。

お電話でお礼を伝えたら、戒名に月の字が入っていたので月の物を探したとのことでした。探した場所は、彼女の亡きお父様がお勤めされていた銀座松屋。子供のころからよくいっていたんだとお話してくださっていたので納得のお店でした。

私のLUNAと重なった偶然に震え、この人生での束の間の凄い再会に心から感謝しました。

退院時婦長さんより色んなお話をされた後「玉井さんからは、多くのことを学ばせて頂きました。」と仰って頂いたこともありがたく、気持ちも新たに頑張ろう!と決意しました。 退院後1か月くらいで新しいお家で営業を再開。 お休みを頂いて、また何か流れが変わってきたようにも感じました。

 

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