ある時、素晴らしい先生が吉祥寺におられるとご紹介され、勝又整骨院の扉をノックしました。
先生は、柔整とオステオパシー等で治療されていたのですが、柔らかいタッチで身体のリズムを整えて、すぐに結果が出る技術にただただ感激しました。
そして、治療家の皆さんに「ハーモニックケア」と名付けて月に1回セミナーも開催して下さいました。
日本に元々あった技術が逆輸入されていると仰り、先生はそれを学んだ最後の生徒だったとのことでした。
身体の見方は非常にシンプルで、感性も必要でした。
教わったことは、お客様のコースの後、少し時間を頂いて練習させてもらいました。
これを学んでいくうちにやってあげたい人がありました。
それは、実家の父です。
父は、造園業を営んでいたこともり、とにかく体が辛くいつもどこかしいら痛く辛い身体の人でした。
なので、小さいころから夕飯が終わると呼ばれ、背中に乗ってくれとか、肩をもんでくれとか指示されるのですが、とにかく硬くて力ずくでは太刀打ちできません。
いつもすぐに疲れて「もう、いあやだー!」と言っていました。
そんな父の体が私にとっての試験のようなもので、効果がでるか否か毎回反応を見せてもらっています。
これがなかなか手ごわく、「そんなことでお金をもらえるのか?」と鞭を打たれるのですから、悔しくて悔しくて、「今に見ておれ!」と闘志を燃やして学びに励めましたから、本当にありがたい存在です。
ある時、本屋さんで一冊の本に出合いました。 田中智子著「ドレナージュの力はこんなにスゴイ」 ヴォデール博士発案のDLMというリンパ・ドレナージュの方法がとても分かりやすく書いてありました。
ずっと知りたかったことが書いてあってのですから、夢中になって読みました。カフェで待ち合わせしていた友人のことを忘れていたほどです。
家に帰ってからも引き続きよみ深めてセルフケアを試しました。 凄いなー!こんなに優しいやり方で効果が出るとは!
先ずは体験したい!!そんな強い思いから、出版社に連絡をして、先生と繋いで頂き予約させて頂きました。
サロンは、六本木交差点からすぐの一等地にあり、お父様がなさっていた歯科医院をサロンにされたとのことで、歯科医院の看板がまだかかっていました。とても緊張しました。
先生は、落ち着いて物静かな女性でした。
施術を受けましたが、期待しすぎてドキドキが止まりません。柔らかいゆったりとした技術であっという間に終わったように思いました。 その後、お茶を頂きながらお話下さいました。
唐突だと思いましたが、「是非学ばせてください。」と申し出ました。
先生は、やっぱりゆったりとした口調で「お教えできます。」と仰り、学費を訪ねると驚きの300万円とのことでした。
顎が外れそうなくらい唖然としました。
当然即決など出来るわけもなく、「相談してみます。」と帰って来ましたが、今回ばかりはどう考えても無理があり、泣く泣く断念しました。決断するまでそう時間はかかりませんでしたが、まるで魔法にかけられたように朦朧としていました。
目の前に欲しいものがあるのに、手を出せないジレンマに囚われて落ち込み、お金がないというだけで諦めなくてはならない境遇を恨みました。
でも、よくしたものでヴォイスという西麻布にあるセミナー等をやっている会社からの通信にリンパ整体という項目を見つけました。
こちらは、30万円。
先ずは、 体験セミナーを申し込み自由が丘の治療室に伺いました。こちらは男性の先生で、とてもはっきりとして、こうすればこうなると、非常にわかりやすい技術を見せてくださいました。そして、授業料は分割も可能でしたので、即申し込みました。捨てる神あれば拾う神ありの心境でした。
セミナーでは、初心者もベテランさんも同じことを学びます。広い治療室で、先ず先生の指導があり、その後数時間それを愛モデルで練習します。
とにかく面白くて、こんな世界があるのかと感激し、毎週通いました。
ベーシックコースは3か月。
あとは1年ごとに10万円。
前回が300万円で悩みましたから、今回は10分の1で助かりました。そして、仕事をしていて収入があったことから悩まずに申し込めたことが嬉しく感謝しました。
本当にありがたかったです。
そして、野上先生の技術が非常にわかりやすく(とは言っても理解できていたかは別ですが)即戦力になりました。
2年近く通いました。
その間に子宮の手術もありました。
術後に「やっといける。」と喜んで行ったのですが、仲間は私のお腹を触ることを恐れました。
正直その反応に驚き、疑問にも思いまいした。
その反応が一般的だったのかもしれませんが、術後の体なんてそんなにお目にかかれないのですから、遠慮なく試してもらいたかったです。 そんなこともあってか縁が少しづつ遠のきました。
その後、施術中発想が沸いてくるようになりました。
難題を提供してくださるお客様が必ずあり、自分の感覚を信じ触らせていただけたのです。